湯シャンや肌断食に至るまで,髪や肌にまつわる俺の歴史を幼少期から振り返ってみるシリーズ第1弾.
リケジョライダーです.
今日は,幼少期から小学時代についてお話しします.
湯シャンや肌断食に至るまでのまとめ記事はこちら↓
もう2度とイヤ!幼少期の2つのトラウマ
両親の話によると,俺は「髪ふっさふさ」で生まれてきたらしいです.だからかどうかはわかりませんが,俺は自分の髪へのこだわりが異常に強い子でした.
物心つく前からロングが好きな子でした.髪を切るのを本気で嫌がったことを今でも覚えています.
小学校にあがる前の話です.母の美容院について行った時のこと.
髪の毛に良いから毛先だけ切ろうと説得されて,美容院で髪を切りました.
自分が記憶している中では初めて美容院で髪を切った日だったと思います.
ところが,いざ仕上がりを見ると肩の近くまで切られていて,ものすごくショックを受けました.
もう二度と髪切らない!
と誓ったあの日を今でもありありと思い出せます.
そして本当に,その後の人生で髪はほとんど切っていません.
切ったのは恋愛関係とバイト関係くらいで,5本の指におさまると思います.
もう二度と!系は髪だけでなく,肌もあります.
美容関係が好きな子でしたので,化粧やネイルなども興味のある子でした.
ところが,七五三で化粧を落とすときに目に入ったりしてすごく痛くて嫌な思いをしたのを機に,化粧落としもトラウマとなりました.
こんな思いするくらいなら化粧も二度としない!
と思ったものです.七五三の最初に化粧してから以降は化粧をしていませんので,3歳のはずです.
でもまだしっかり覚えています.
ただし,これはバイト関係により,大学生からがっつり化粧&化粧落としをするようになってしまします...
小学校にあがっても特に問題はないように見えたけれど・・・
今でこそ超くせ毛の天然パーマですが,当時はストレートでした.
パーマにあこがれて,小学校にあがってすぐ親にねだり,美容院でパーマをかけたほどです.
たしか,パーマがとれたあとは,もうパーマはしなかったと思います.
(だいたい一回やれば気が済んで満足する子でしたので.(笑))
でも髪の毛愛はとどまるところを知りませんでした.
毎日必ずブラッシングし,毎日必ずシャンプー・コンディショナー・トリートメントをたっぷり使う,ませた(贅沢な)子でした.
おかげで髪の毛は常にうるつやでした.
美容院へは,母と一緒に遊びに行く感覚で通っていました.
俺も美容院の椅子に座りはしますが,小学前のあのトラウマがよみがえるので,切る行為だけは断固拒否し続けます.
そうすると,美容院も戦法を変えてきました.
「髪の毛多いからすこう」と.
髪の毛の量は当時から多かったので,たしかに髪の毛を洗ったりブラッシングしたりするのもひと仕事でした.
だからこの戦法にまんまとひっかかったわけです.
ところがこれもすぐ騙されたと思うことになります.
髪の表面に綿毛が乗ったみたいにフワフワチリチリし始めたのです.
長い髪の毛は束になって重力でまっすぐ下に落ちていますが,すかれて短くなったバラバラの髪の毛が,髪の表面に1本ずつ飛び出してくるようになったのです.
これが,ふわっと丸まって綿毛のようになっていたのです.
その後も何回も,飛び出さないように内側の毛をすくから,と説得されたりしながら美容院に通い続けます.
でもチリチリは止まりませんでした.
この頃にはもう,天然パーマの影が少しずつ忍び寄ってきていたのでしょう.
皮膚科の先生が放った何気ない呪いの言葉
ここまで肌の話が出てきていませんが,それは,小学校までは一度も肌なんか気にしたことがなかったからです.
人の顔のニキビすら認識できないほど,肌には無頓着でした.
とは言え,小学校後半あたりで一度だけ,ほっぺに細かいぶつぶつができたときは気になって皮膚科に行きました.
そのとき,皮膚科の先生が何を根拠にどんなつもりで言ったかはわかりませんが,
「安心して.君の肌はニキビができにくいから」
と言いました.
これが呪いの言葉になるとは,誰が予想できたでしょうか.
こうやって小学校後半になるにつれ,髪も肌も少しずつ不穏な影を落としはじめたのです.